学生時代から特段何かやりたいという仕事もなくサラリーマンをしていましたが、結婚を機に父が経営する建設業界に足を踏み入れることになりました。
子供の頃から建設業界を見てきましたので、昔ながらの不愛想な職人さん達を見ていたことから、絶対にこの業界には拘りたくないと思って生きてきました。
しかし、結婚をして子供が生まれるとなると、それなりの生活費が必要となります。
そのようなことから仕方なく仕事に就いたと言っても過言ではありません。
しばらくして、無謀にも建設会社を起業しようと思い、会社の設立の仕方から始まり、登記関係等々、あらゆるものを独学で学び自分一人で手続きをしてきました。
また、異業種からの転職でしたので経験もなく、知識もまったくない状態での会社設立でした。
その後、建設業関連の資格を取りまくり、他人を頼らなくても自らの資格と知識と経験で事業を行えるようにまでなりました。
そのかいあってか、周りの人たちからも協力を得られ順調に会社も大きくなっていったのです。
そして更に、建設会社だけでなく不動産会社まで立ち上げました。
この時は、今思えば飛ぶ鳥を落とすというぐらいに順風満帆で、金融機関からの借り入れなど全く必要ないぐらい儲かっていたのです。
実際には金融機関からの借り入れはありましたが、その資金の多くは資金が不足するから借りたのではなく、金融機関の渉外担当者から懇願されたことによるお付き合いで借り入れした資金です。
しかし、そのような状態はいつまでも続く訳はなく、右腕であった社員の横領が発覚し、その家族を残したまま蒸発したことから始まり、
取引先とのトラブルから危機的状況へと進むことになってしまいました。
不思議なことに、具合の悪いことが起こると、次から次へと問題が勃発してきたのです。
資金が不足してしまうときに、従業員が資材の発注ミスで100万円相当の無駄な出費を課せられたり、現場監督のミスで損害賠償が発生し、5000万円程の工事のやり直しをさせられてみたりなど・・・
毎日仕事をすればするほど資金が流失していく負のスパイラルに陥ってしまいました。
このような状態が長らく続いたことにより、徐々に借入金が増えて行ったのです。
経営能力が低い私でも、このままの状態が続けば何れ破綻してしまうことは認識できましたので、何とかしなければと毎日悩み続けました。
来る日も、来る日も、破綻と倒産、破産の事が頭の中から離れない日々の毎日でしたので、そうなる前に対策を取らなければならないと考えるようになったのです。
ですが、その大きな不安が逆に功を奏したのか、破綻や倒産という場面に直面しても大丈夫なよう、知らず知らずのうちに保全対策を取っていたのです。
そのような状態から5年程度が経過したとき、もうこれ以上経営を継続させることはできないと判断しました。
そこで、たまたま出合った事業再生のコンサルタントに相談をする機会がありました。
その先生の話では、自己破産しなければならないことは全くないと言われたのです。
その時に思い詰めていたものが、明るく軽くなったことは今でも忘れられません。
勿論、弁護士にも相談をと考えましたが、破産するしか方法が無いと言われることは言わずと知れていることなので相談はしませんでした。
特に一番勇気を出せなかったことは、妻や家族に伝えることができなかったことです。
今日こそは伝えようと帰宅するのですが言えない。次の日も言えない。また次の日も同じ。
こんな日々をどれぐらい過ごしたかわかりません。
しかし、破産などせず、会社を再生させて家族や従業員を守る方法や選択肢があるということを学ぶことができたお陰で勇気を持つことができたのです。
そして、今の私があります。
今までいろいろな経験をして来ましたが、この機会で日本の多くの中小零細企業経営者が債務問題で悩んでいることを知りました。
この苦しみは、当事者として経験した者でなければ分かりません。
そのようなことから、多くの経営者の役に立ちたいと思い今日に至っています。
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