久しぶりのブログです。
今日は経営についてではなく、プライベートで経験したことを少しお伝えいたします。
ここ数か月の間、闘病中の母への対応に追われる毎日でした。
寝たきりで、多くの人達の介護支援がなければ生きていくことができない母がおります。
会話ができない、口から食事もとれない、自力歩行どころか自分で寝返りも打てない、そして全身が拘縮しているため、手、腕、膝、足、等々、
体全体を曲げたまま元に戻すことができない状態です。
そして高齢も重なり自分で体温調節もできず、常に熱が高くベットはいつもビッショリ濡れるまで汗をかくのです。
今日は、この母が病院に入院していたときのことを記述しますね。
入院した当時の主治医からは、何度となく頻繁に呼び出されていました。
そのときの説明は、もう高齢だし、いつ何時どうなるかわからないので覚悟をしておいてください。
延命治療を望まれますか? という話でした。
次に呼び出された時には、もう手の施しようがありません。治療しても治らないと
思いますが、まだ治療を続けますか? という話。
このような呼び出しが頻繁に行われていたある日のこと。
口から食事をとることができない母は、胃に穴を開けて流動食を流し込む胃ろうということを行っているのですが、その流動食を止めるというのです。
その理由は、流動食を入れると熱が高くなるので良くないからということ。
そして、覚悟を決めてください。 このまま自然に亡くなるまで看取るということでよろしいですか?
という確認でした。
ストレートに言ってしまえば、食事を与えるのを止めて餓死するのを看取ることを承諾しろということなのです。
これって残酷ですよね。 いくら息子といえど、母親の人生の終わりを息子が決めろ
ということなのですから・・・
そして、その選択肢しかない状態に追い込まれながら帰宅して3日後に病院から
電話が入ったのです。
その内容は、担当していた主治医が退職して主治医が代わり、お話があるので病院まで来てほしいとの
ことでした。
呼ばれるがままに病院に出向くと、新主治医からの話は流動食を入れても問題がないので流動食を
開始しているとのこと。
更に、熱が安定しているのでこの状態が続けば退院を考えているということだったのです。
(母の様相が急に変わったのではない)
その時は本当に面食らってしまいました。
だって3日前には餓死することを覚悟して看取れと言われていたはずなのに、
ほんの数日後には退院の話に変わってしまったのですから。
今思い起こせば最初の主治医が退職しなければ、流動食を止められた母は、
今、この世には居なかったと思います。
しかし、主治医が代ったことにより、様相が変わらぬ母の診断が手の施しようが
ないということから、流動食可、退院も可という診断に変わったのです。
これって、どのように思われますか?
主治医の能力や経験、知識、専門性、等々、さまざまな違いがあったからの結果なのではないでしょうか。
このようなことが実際に医療現場ではありました。
では、中小零細企業の経営においてはいかがでしょうか。
優秀な法律家、優秀な税理士、優秀なコーチングコンサルタント、優秀な経営コンサルタント、等々、
たくさんの方々がおられますが、
その協力者の考え方や診断内容、得意不得意、専門や専門外等により、
母の主治医のような診断の違いや方向性、結果が異なることになるのではないかと思うのです。
特に人の命に係わることであったり、企業の存続に係わることであったり、経営者や家族の人生に拘る
ことにおいては、
あのとき、ああしておけば良かったとか、失敗したなぁーなどとは言えませんので、十分留意された方が無難なのではないでしょうか。
しかし、実際は誰に依頼したら良いのか分からないということが現実なのかも
知れません。
そこで先ず大事なことは、自分がどのようにしたいのかを明確にされることです。
もちろん、100パーセント、100点満点の希望とおりには行かない可能性の
方が非常に高いことは言うまでもありません。
結果が、まったく思っていたことと異なってしまう事だって可能性としては
ゼロだとは言えません。
それは、様々な利益相反企業や利害関係者などが拘っているからです。
ですが、60点でも70点でも希望される形で経営改善することができるだけでも十分前進できるのではないでしょうか。
名医ではないですが、しっかり見極めて専門家を選ぶことが大事なことだと
思います。
よって、後々、後悔することにならないよう、良きパートナーを探すことを真剣に
取り組みされるべきではないでしょうか。
そして、依頼する専門家については、法律に関することは弁護士へ、登記に関することは司法書士へ、
財務と税務に関することは会計士や税理士へ、経営改善に関することはコンサルタントへと、
各資格の関係や専門性がありますので、明確に区別する必要があります。
今回は、仕事の内容とは異なりますが貴重な経験で勉強をさせていただきました。
高齢で24時間人の手を借りないと生きていくことができない母においては、
まだまだ予断は許されず心配は尽きませんが、
人の人生は順番ですので極力苦痛の無いような生活ができるよう、息子として
できる限りのことをしていく所存です。
因みに、現在、母は無事退院して穏やかに過ごしております。